昔からの習慣からか…、飲食業をとおしてきた私には腕時計をしながら仕事する習慣がありません。
水仕事ゆえに仕方ないのですが、いくらダイバーウォッチであろうと腕に付け仕事するのに支障をきたします。
ましてやバーテンダーという職種ゆえに、腕にしながらではシェイキングの邪魔になります。
しかし店内に時計を飾ることをしていない為に、時間を把握するには携帯電話をひらくには少々色気が感じられず、やはり時計を持つことにしました。
何店か廻らせて貰い、『これぞ』という物にめぐり合えずにいました。手巻きや自動巻きという時計本来の道具の素晴らしさを求めて腕時計は探しますが、営業の中では終電の時間の確認などで時間を見る機会もある為に、やはり正確なクォーツであることに致しました。
しかし現行品にあまり魅力を感じられずにいたところに、ふと以前購入させていただいた時計店を思い出し青砥に車を走らせました。
以前に通りすがりで立ち寄り、気になった時計を求めて伺った際に別の50年前の「シチズン」のアラーム付きの手巻き時計を買いました。
その際に幾つか並んでいた「おもちゃ」と言われた懐中時計がありました。
当時、店主は80歳に到達すると話されていましたので、伺うまでは廃業なさってはいないか不安でした。
店の前に辿り着くとシャッターは半分しか開けられてはおらず、店には明かりが灯されずに奥の座敷に老夫婦の姿がありました。
ご健在であることに安堵して声を掛けますと、主は「何をお探しですか…?」とコタツから身体を乗り出しました。
「懐中時計は、まだありますか…?」と声を掛けると、主は「ゼンマイと電池はどちら?」と歩み寄りました。
ゼンマイ式の懐中時計は昭和の一桁代の頃の代物で、主が小僧の頃からあるものでスイス製という話でしたが、「これは勧めませんよ…!」との話でした。
「電池式の方が確かです。」と以前に「おもちゃ」と言った時計を差し出しました。
蓋付きのクロームの懐中時計で「こちらになさいなさい。」と促されました。
今、「電池を入れますから…!」と言い、眼鏡を掛け換え裏蓋を開けました。その視線はやはり熟練の時計職人の眼差しに戻り、電池を入れ替えて下さいました。
『具合が悪い際はお持ち下さい』との時計に対する愛情とプライドを込めた言葉には、長年職人として営んできた誇りを感じました。
私の父親も83歳になります。その同世代の昭和を生き抜いた職人の魂はいまだ健在でした。
そして営業中に時間を確認する度に、その時計職人の魂に再び会えるような気がします。
「おもちゃ」かも知れない懐中時計は時を刻みながら、私のもとで新たな時間を刻んでくれる事でしょう。